まちかどエッセー4

歌声喫茶とロシア民謡



 歌声喫茶というと、好んで歌われるのがロシア民謡。アコーディオンの伴奏が似合う、誰もが一度は耳にしたことがある庶民的で哀愁を帯びたメロディー。そんなロシア民謡が大好きな常連さんのお一人、Sさんをご紹介します。


 Sさんは30年来の歌声喫茶の大ファンです。当店だけではなく、今はない仙台の街の歌声喫茶「仲間」や「トロイカ」、「若人」などの創生期からから通い続けてこられたお客さまです。

 山とお酒をこよなく愛し、登山帰りにリュックを背負ったままよく来店されます。美味しそうにお酒を飲み、ロシア民謡をリクエストしお隣のお客さんともすぐ意気投合。「いやぁ、ここに来るとね、元気が出るんですよ」。彼は来店するたび私たちスタッフに声を掛けてくださいます。その優しい一言に幾度励まされたか分かりません。 


 Sさんの十八番はロシア民謡「ウラルのグミの木」。ステージに出てよく歌ってくださいます。この曲は夕暮れの河畔で揺れる乙女心を歌った名曲。歌声喫茶定番曲の一つです。

 「おい、グミよ、グミよ。白い花よ」と、高音のサビ。小さいけど澄んだ歌声でSさんは遠くを見つめるように歌います。


 うれしかったこと、悲しかったこと、出会った友、離婚、別れた家族、見送った山の友、戦中戦後の歴史。さまざまな思いがこもった歌声を、目をつぶって聴いている人、涙ぐむ女性。やがて店内には彼の歌声だけが響き渡ります。


 全員合唱の無いひととき。歌声喫茶としてはどうなの、みんなと歌はなくていいのとも言われそうですが、私はそれでいいと思っています。居合わせたお客さんもそう感じたからこそのワンシーンではないでしょうか。歌声喫茶にはそんな瞬間があってもいいかなと思います。Sさんは今、病床にあります。年が明けたらお見舞いに行きたいと思っています。そしてもし許されるのなら枕元で彼の好きなロシア民謡や山の歌を一緒に歌いたいそう願っている年末です。


河北新報 2015.12.21